日本最古の綿緞通 ― 鍋島緞通 ― | |||
中東の遊牧民の必需品だった緞通は、シルクロードを経て中国へ・・・・。 その技法が、今から約300年昔の元禄年間(1688〜1703)、長崎の中国人を通じて 技法が伝えられ、佐賀城下の扇町(おうぎまち)で製造された日本最古の綿緞通が 【鍋島緞通】です。 毛や絹にはない独特な風合いの敷物で、当時佐賀三代藩主、鍋島綱茂候は 領民に扶持米を与えて生産を奨励しました。「鍋島緞通」は佐賀藩御用品となり、 その製品の一般への売買は禁止されました。佐賀藩から将軍家への献上品に 指定され、【花毛氈】として正月、将軍家に10枚、老中に5枚など、50枚程度が 毎年献上されておりました。 廃藩置県後の明治4年からは一般への販売は許可されました。奢侈品(贅沢品) 禁止令が出された太平洋戦争時代には、日本の伝統美、技術を残す必要が 重視され、鍋島緞通は技術保存に指定され、戦時下に於いてでも、国から綿糸 の供給を受け、技術を守り、明治・大正・昭和・平成の今へと受け継がれています。 鍋島緞通、伝承者「吉島義子」(1915〜1991) 戦後、鍋島緞通の衰退期に必死になって、その技術の孤塁を守った人がいます。 故・吉島義子です。織り手として生涯かけて研究に励みました。 母として、伝承者として吉島義子は政之輔を育て、そして今 鍋島緞通の織り元 として政之輔は母の技術を受け継いでいます。 右の写真は、1976年頃、吉島義子を大塚清吾氏が撮影されたものです。 大塚清吾氏もまた、鍋島緞通の保存に力を発揮されている方です。 大塚清吾氏が所有する江戸時代の鍋島緞通などは、図柄や織りなどの資料と しても貴重であり、古緞通の復元に政之輔も力を入れています。 昔ながらの織り機により、一枚一枚手織りしておりますので、年間の生産量には限 りがあり、非常に希少価値のあるものです。 |
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